ベロだしチョンマの悲しい歴史と僕のご先祖様

シャンプーソムリエ こと関川忍です。
僕のブログを覗いていただきありがとうございます。

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心を込めて毎日1記事を書かせていただいております。

今日はめっちゃプライベートな記事です。
歴史好きの方にはいいのかもしれませんね。

また、最近増えている歴女の方にもね!

 

神社仏閣が好きな女子は何となく共感しちゃいます。

本日1月2日は毎年恒例なんですが、関川家はご先祖様が祀られている「佐倉宗吾霊堂(鐘山東勝寺)」に新年のご挨拶に行きます。

 

ご先祖様はとっても偉い方で、立派なお寺が作られ、年間で250万人もの参拝者が足を運ぶほどです。

自分の為にお寺ができるって全く想像もつきませんが、それだけ多くの人に感謝されたのは間違い無い!

以前は歌舞伎でも演じられていたようですが、最近ではNHKなどで「神になた人」という特集が組まれたりもしていた偉い方。

 

佐倉宗吾(本名・木内惣五郎)様と言います。


宗吾霊堂の御廟を参拝する故勘三郎氏
歌舞伎俳優の故勘三郎氏がもしも存命でしたら、佐倉宗吾様の歌舞伎公演がNYで予定されていました。
今回はその佐倉宗吾様のご紹介と、「ベロだしチョンマ」という悲しいお話を記事に残したいと思います。

 

当時、佐倉藩(現在の千葉県佐倉市)は、大変な飢饉に襲われていました。

 

しかし当時の藩主は年貢を緩めることもなく、農民の実情を無視した過酷な検見が行われ、農民は餓死寸前の状態にありました。

 

手を尽くした惣五郎様は1人で4代将軍家綱公へ直訴を行う決心をしたのです。

 

当時の直訴の罪は重く、家族にまで刑罰が及びました。

 

家族の身を案じた惣五郎様は直訴の前に奥様を離縁、子供達を勘当しようとしますが、奥様は惣五郎様の考えを聞き入れず、運命を共にする覚悟で離縁を拒みました。

 

そして上野寛永寺で墓参りに来た4代将軍家綱公の駕籠を待ち受け、直訴を行なったのです。

惣五郎様はその場で取り押さえられましたが、家綱公は墓参りが終わった後、惣五郎様からの訴状の内容を確認し、佐倉藩の状況を調べました。

 

そして佐倉藩の深刻な状況を知り、3年間の減免を行い、飢饉に苦しんでいた農民は救われたのです。

 

ここまでは、良かったのですが、直訴の罪で惣五郎様は、はりつけになり、子供達までが打ち首になってしまいます。

 

この時、奥様は出家し、長女が関川家に嫁がれます。

その16代目が僕に当たります。

 

のちに、佐倉藩主堀田正亮公は、1752年の百回忌のときに、当時の失政に胸を痛め、惣五郎様に「宗吾道閑居士」の法号を授けました。

 

それ以来、惣五郎様は宗吾様と呼ばれるようになったのです。
そしてこの時、宗吾様と共に処刑された子供達の、とても悲しい話しが「ベロだしチョンマ」として、伝えられているのです。

処刑場で、怖がって泣く幼い妹のウメ(3歳)に兄の長松(12歳)が「こわくねえぞ!アンちゃんを見ろ!」と言って、眉毛を下げて舌をペロっと出してウメが怖がるのをあやしたそうです。

 

これは、普段、長松はウメが泣くと、こうしてベロを出して笑わせていたから最後もそうしたそうです。

 

そして、長松はベロを出したまま、槍に突かれて死にました。

見ていた村人達は、泣きながら笑い、笑いながら泣いたといいます。

多くの人を救うためとはいえ、子供達まで犠牲にしなければならなかった宗吾様の悲しみは、想像することもできないほど深いものだったことでしょう。

 

民のために命を落としたご先祖様。

命を落とす寸前まで妹を思う心。

 

そして、義民と言われた生き方。

 

僕の中にある「義」とは何か?

「義」には「正しい行い」と同時に「打算や損得から離れた」との意味が含まれているそうですが、武士道における「義」は、普遍的な「良心の掟」に基づく絶対的価値観を基本とするいわば不合理の精神とされています。

多分、宗吾様の「義」は後述の、良心の掟に基づいた命をかけるほどの価値観ではなかったかと自分では思っています。

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