カッコイイ組織ほど宗教的な要素が育つ!

シャンプーソムリエ こと関川忍です。
僕のブログを覗いていただきありがとうございます。

あなたにとって何か得る物があれば・・・と思って
心を込めて毎日1記事を書かせていただいております。

世の中の正義とか、安心って殆どが自我の世界で作り上げた「悪」とか「不安要素」と照らし合わせて得ているような気がします。

あの人は・・・でも、自分は大丈夫!
あの会社は・・・でも、自社は大丈夫!
あそこの組織は・・・でも、うちの組織は大丈夫!
あの社長は・・・でも、うちは大丈夫!

あの、あの、あの・・・

こういう「差」を無意識に作り上げて自分自身を正当化しているのが人間のモチベーションの奥深くにあるんじゃないでしょうか?


時には、そのような噂を信じ込んで、他人へ伝えていく。
そして、仮想の「善」の世界を作り上げて、こちら側は間違っていないから安心。

国と国の間でも、同じ業界内でも、同じ組織の中でもそういうことは多々あります。

また、数の勝利という原理も大いにそこに関与しているかと感じています。

例えば、Aという会社や、Bという会社が社会に対して問題を起こしたとします。
すると、その業種全体が悪であると見る傾向が世の中非常に強い。

でもCという会社は、ABと同じ業種でありながら、世の中の方に沢山の幸せを供給している場合もあります。

しかし、そんなことは知らない大多数の人はCも悪と見がちです。
(僕も病院とか、製薬メーカーはどうしてもそう見がちですが、患者のために誠心誠意尽くしてくれる医師や製薬メーカーもあるはずです。)

逆にAだけが問題を起こして、BもCも社会で大いに評価されているといい業種で、A社だけが集中的にバッシングされ、その広がりが大きいほど会社の存続も危うい状況に追い込まれてしまうケースもあります。

「人の不幸は蜜の味」と言いますが、人はそういう所に興味を示し、集団で善悪を決めたがる本能みたいなものが眠っているのかもしれません。

宗教だってそうですよね〜。

「あそこの組織は宗教みたいで怪しい〜」なんていう批判的な表現ってありますが、お墓がある人はどこかの宗派の系列のお寺にご先祖様を供養して頂いています。

その人自身もどこかの宗派=宗教に属しているんですが、自分は棚に上げて気づかないし、気づこうとも思わない。

僕は生まれながらに、お寺に関わって生きていますので、そんな表現を聞くとその表現は宜しくないのでは?
って、思ってしまいます。

特に、強固な一枚岩の組織ほど、そんなことを言われたり、影響力がでてくると「宗教っぽい」って言われますが、宗教とは考え方、信じるものが一つになっている組織です。

宗教でいうと信者とか檀家って言います。
これを、スマートな言葉に置き換えるとファン(Fan)。

Fanとは、特定の対象に対する応援者、愛好者のことで、「狂信者」を意味するファナティック( fanatic)の略です。

ですので、そういう組織はある意味、宗教的な一体感が育っている優れた組織という見方が正解ではないかと思います。

だって、社員教育もすべてそこを目指していますよね?

思想の統一、スキルの統一すべてその組織の一体感を実現するために、強い組織を作るために教育というものを組織では行っていると思います。

「うちのお店では〜」
「うちの会社では〜」
「この組織では〜」

・・・ってね!

ですので、「宗教っぽくて怪しい〜」と言う言い方をする人は、思想の統一が出来ないバラバラな組織を作ったほうがいいという意見の持ち主と思ってしまいます。
(そんなことを思って「宗教っぽい」と言ってはいないと思いますが)

僕は15年前に父から代替わりをして、お寺(宗教)というものに毎月触れ合うことで、もうそういう言い方をしてはいけないと思えるようになってきました。

こうは言っても以前は僕自身も使っていました(汗)

そして、そういう表現が悪い表現になってしまったのは、先ほど言ったABCの会社の例と同じことが宗教の世界であったから、そのような誤解を人々に植え付けてしまったと思います。

世の中にはそういった誤解によって生まれた色眼鏡で物事を見る傾向が非常にあります。
俗世界の試練かも知れません。

特に日本は島国だから、宗教や考え方、ビジネスのやり方、教育方法などに対して、そういう表現が起きやすい国なのでしょうか?

かたや、グローバル化と言いながら、新しい考えを受け入れない風土。
新しいものを拒み、恐怖する閉鎖感。

細かな仕事は評価されるのに、アイディアが乏しいと言われる所以なのかもしれません。

硬いとか、真面目とか言われる民族ですが、所詮は自立出来ない周囲の意見や目を気にする民族が日本人なのかも知れません。

いいものはあるのに、許容範囲や考え方が狭いのかな〜?

僕は思うんです。

そんなことよりも、他社も他者も、そして自分も
何をするために生きているのかをシンプルに考えてみる。


仕事とかも、
他社や他者、そして自分もなんのために商品(色々な物やサービス)を作ったり、売ったりしているのか?

なんで、今の仕事についているのか?
なんで、勉強しているのか?

大志を抱いている他社や他者、そして自分は・・・
何故、業界に革命を起こしたいのか?
何故、有名になりたいのか?

そして、その後には何をしたいのか?
どうなりたいのか?

身近なところだと・・・
他社や他者、そして自分は
何故、売り上げを上げたいのか?
何故、収入を増やしたいのか?

そうなったら、どうしたいのか?

そういう見方をすることで
誰が・・とか、あの会社が・・とか、あの組織が・・・という「偏見」が随分と薄れ、もっと楽しい社会になるんじゃないでしょうか?

僕もその「偏見」というものに対して、めちゃ小さいですが商品開発に「業界の偏見打破」の処方を入れ込んでいますし、僕の行動自体にも組み込んでいます。

偏見という言葉には

「十分な根拠もなしに他人を悪く考えること」
「好意を持たない感情、恐怖感、嫌悪感と共に他人の差別、誹謗中傷、暴力等の反感を持った行為」

と、wikipediaに記されていますが、こういう色眼鏡はできるだけ排除する努力が必要なのかも知れません。

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