僕はお坊さんにはなれなかった・・・

シャンプーソムリエ こと関川忍です。
僕のブログを覗いていただきありがとうございます。

あなたにとって何か得る物があれば・・・と思って
心を込めて毎日1記事を書かせていただいております。

僕とお付き合いの長い人なら知っている。
・・・いや、勘違いしているかも?

僕はお坊さんにはなれませんでした(苦笑)

僕は年間に数回お寺の奉仕業に参加しています。
はい、僕は罪深き者なのでその罪滅ぼしをしないといけないんです・・・。

これは、修行です!!

昨日もお寺の行事「盂蘭盆絵施餓鬼大法要」に参加しました。


このお寺は由緒正しいお寺なのです。

法華宗
 政継山誠諦寺(せいけいざん じょうたいじ)というお寺です。

少ない檀家さん位しか人が訪れないお寺ですので、あまり人に侵されていないパワースポットというのは知る人ぞ知るって感じですし、勿論、ポケモンGOのエリアから外されているので、ポケモンGOで彷徨う人も来ません(笑)

このお寺に代々関川家のご先祖様は供養していただいているんです。

そんなお寺を支えるのが檀家さん方で、その檀家さん方をまとめたり、お寺の催し物をお手伝いするのが檀家総代と言い誠諦寺にも数名います。

この総代役の中心的な役・・・今で言えばリーダーをず〜っとず〜っと昔から関川家が勤めていました。
つまり、僕の父やおじいちゃん、そのまた親・・・と勤めてきたんです。

ところが、父が十数年前に他界してしまったんです。

すると、当然それまでは父がいるから別に〜って、お盆休みは家族旅行、正月休みはスキーに温泉、ゴールデンウィークは旅行と長期休みとか、祭日は自分の休日として過ごしてきました。

が、父の具合が悪くなり、そこから父の代理としてお寺の催しに顔を出すようになりました。
見渡せば、父かそれ以上の方ばかり。

そしてかれこれ十数年が経ち世間でいう長期休みは無くなり、年末年始もお寺の境内で奉仕を行いながら年を越すようになっていました。

だいたい、日本の祭日近辺にはお寺の催しが行われますので、毎月のように寺業に携わっています。

つまり、僕にとっては月に一回、人に侵されていない隠れたパワーズポトでエネルギーを充填する。
心を透明にする修行の時間。
平均年齢70歳を超えるようなお年寄りと触れ合う。
戦中、戦前の話を聞く。
定年後の過ごし方、生き方を聞く。
供養とか、お寺に関する話を聞く。
生きる死ぬということを考える。

そんな、それまでの僕の生き方からしたら日常では先ず、好んでは聞きそうもない話をきいたり、人々と触れ合っています。

そういうことを十年以上毎月のようにやっていると、当然人の見え方も変わってきますし、人の心や思考に対する感度も随分と変わったと思います。

もともと、細かいことを見たがるところが僕にはありましたが、お寺ってある意味死者との距離が近いところですので、色々なことがらをシンプルに考えるようにもなってきました。

人の良し悪しとかも、悪いところを攻めたりするのではなくって、良いとこところも悪いところも人の個性として認めることができるようになって来ました。

そして、所詮は人は人であるってこと。

それ以上もそれ以外もない単なる人であるってことです。

そして、人生は短くあっという間ってこと。

生まれてきたからには必ず死が待っています。
だったら、生きている短い時間どう過ごすかを考えます。

死んだ後のことも当然考えます。
(人類はその後も存続しているハズですので。)

だから、自分を信じ、自分が楽しいと思える人との付き合い方や、世の中との調和を考えて良い死を迎えるだけ。

その時間の使い方と、人との関わり方が個々の人生を彩ると思えるようになって来ました。

そこには必ず優先順位とタイミング(縁)があって、それの判断さえ納得し、自己責任でできていたら、ほぼほぼ人生は楽しいものになるんじゃないでしょか?

人に何を言われよとも、自己責任の上でという覚悟があれば何でも出来ると思います。

僕はお坊さんという立派な立場では無いですが、寺という独特の場所に触れることでそんなことを思うようになりました。

だから、人間社会は相互援助であり、お互いがウィンウィンであるためにということを考えるべきで、潰し合いや派閥なんて言うのは低いレベルの思考での判断と思えてしまうようになりました。

狭い日本、狭い業界お互いが寄り添えることを考えることの方が素晴らしい人生を歩むことが出来るような気がします。

家族や大切に思う人の幸せ+携わる会社や組織の幸せ+業界の幸せ+社会の幸せ。
それを繋がりで考え、その実現に向けて自己責任において行動することで、自分の人生も幸せかな〜って思います。

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