引き継がれるのか「義」の心

シャンプーソムリエ こと関川忍です。
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1月2日は毎年恒例の千葉県佐倉市に位置する佐倉惣五郎霊堂への新年の挨拶に行ってきました。

ここで祀られているのは、我が国義民の代表者として歌舞伎の題材になったり、中村勘三郎氏主演で上演もありました。

また、NHKでは「神になった人」として特集が組まれたり、東日本大震災後にはE●ILEの事務所から、復興ライブの会場にとの声をかけられるなど、とっても素晴らしい「佐倉惣五郎」本名、木内惣五郎と、その子の魂です。

戦後は伝説かしていたのですが、その後お寺の方でその末裔を探していたところ、僕の実家である関川家だったことが分かったそうです。

なぜなら、民を救うために直訴をしたために、女子供まで斬首にあってしまったので、その血縁が薄くなてしまったという悲しい背景があります。

当時、惣五郎様の奥さんは打首にはならず、そのまま出家して尼さんに。
そして、長女がこの事件前に、僕の実家に嫁いでいたので難を逃れ、その血が今に受け継がれているということです。


御霊前で

そして、その流れを汲み僕が16代目で、息子が17代目に当たります。

この惣五郎様は、もともとは熊本から養子のような形で、下総国印旛郡現在の成田市に住んでいたそうです。

また、成田市には木内利左衛門というやはり末裔と言われる方がいたのか、現在も健在なのかわかりませんが、どうやら僕の方が直系と言われているようです。

多分、惣五郎様は熊本から養子で下総国に来ていたようですので、血のつながりに関係がありそうです。

寛永から承応年間、佐倉藩国家老は増税に加え、寺社税、家屋税を始め鋤鍬税、味噌税に至る重税を課し、過酷なまでの取り立てを行ったため、領民達は苦しみ、一家離散、餓死する者も現れ、遂には百姓一揆が起きます。


惣五郎はこの時の割元名主で、一揆衆をなだめます。

この状況があまりにも酷いため、佐倉代官屋敷に減税を願いますが・・・NO!

それならばと、江戸の領主堀田上屋敷の門前で嘆願書を差し出しますがそれも・・・NO!!

ならばと意を決して、 将軍家側用人久世大和守の駕籠先に訴えますが、それも・・・NO!!!

この3回目の駕寵訴は当然、藩の者が藩を抜け出して、上に直訴をしたわけですから、直ぐに国に知れ指名手配されてしまいます。

そして、惣五郎様は大きな決断の上、12月20日、上野寛永寺に参拝する四代将軍徳川家綱に直訴し、ついに成功ます。

会社でいうと、係長クラスが、課長、部長の悪行を何度も阻止しようとしたのに、ことごとく握りつぶされて、社内で働く人たちの不満が爆発寸前・・・3度目の正直も失敗したので、社長室に乗り込んでその一部始終を訴えたって感じです。


直訴成功!

ただし、会社では部長、課長の降格などがあり、直訴した人間は昇進する可能性もありますが、当時はその処遇は上司に任されていました。

いいように金の回りが良かった上司は、部下のせいで金回りも悪く、社長に対しての印象が悪くなったので怒り狂うわけです。

そして、当時の直訴の罪は重く翌年8月3日、惣五郎様と子供4人は斬首の刑に処せられま す。


惣五郎様享年42歳

惣五郎様の命を賭けた直訴は実を結び、税は軽減され民の命が救われたそうです。

その霊を供養し、讃えるために惣五郎霊堂が後に建てられ今に至るそうです。

ご先祖様が「義」に生きたということで、僕も「義」に生きなければいけない・・・って小さい時から親から言われ続けてきました。

祖父も、父も正にそれを全うした生き方をしてきました。

って、言っても「義」は相当難しいですよね~。

義、義、ギ、ギ・・・ギリギリな生き方してますが(笑)

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