ご縁

シャンプーソムリエ こと関川忍です。
僕のブログを覗いていただきありがとうございます。

あなたにとって何か得る物があれば・・・と思って
心を込めて毎日1記事を書かせていただいております。

世の中には「縁」という見えない糸が張り巡らされているように感じます。

どうしてこの地によく来るのか?

なぜ、このメンバーで仕事をするとここちいいのか?

どうしてこの人と結ばれたのか?

色々な繋がりの背景には計り知れない何かがあるかもしれません。

僕は最近その見えないものの一つを知ることが出来ました。
それが、何故僕は熊本によく行くことになったのか?

時々、僕を熊本の人と勘違いしている方もいるくらいです(笑)

そして、熊本の人を尊敬し、好きなのか?

その理由を知ったのが今年の正月。

僕のご先祖様が祀られている千葉県佐倉市の佐倉宗吾霊堂に新年の挨拶に行った時のことです。

僕はこのご先祖様から数えて17代目にあたる直系の子孫になります。

霊堂に伺うと必ず住職と面会し、お話をします。

その話の中で、最近よく熊本とかに行くんですというような近況報告を話していると、住職が宗吾様は慶長十年(1605年)生まれと伝えられていますが、どうやらここではなく、熊本から養子としてここの木内家にきたそうですよ。

ドキッとしました~。
まさか僕は熊本の人の血が流れていたなんて・・・!

この熊本から来たご先祖様。
現在は佐倉宗吾郎と言われれいますが、本名が木内惣五郎といいます。

そして、何故ここまで民に敬われているのかと言いますと、当時、公津村(千葉県印旛郡にかつて存在した村)の名主であった木内惣五郎は、厳しい年貢に苦しむ農民を救うべく佐倉藩主に直訴しましたが聞き入れられず、止むなく時の四代将軍家綱が上野寛永寺に参詣した折に直訴しました。

その訴えは聞き入れられましたが、直訴という大罪を犯した惣五郎は死罪となり、承応二年(1653年)公津ヶ原の刑場で本来は女、子供は死罪にはしないという決まりでしたが、男の子は年をごまかされ、女の子は頭を丸められ男子として一家断絶の大掛かりな処刑が行われました。

熱いな~ご先祖様。
民を救うためにリーダーとして命を賭けたのですから。

この時、長女が常陸の国という藩外にあった、関川家に嫁いだことで、血が絶えなかったそうです。
また、関川家は代々長男が後を継いでいるので、父などは宗吾の肖像画に似ていると言われていました。

そういうことで、何故熊本に縁があるのかが歴史の中に隠されていました。

ご縁という見えない糸はこういう歴史の中に何かしらの因果関係があるのかもしれませんね~。

最後まで読んで頂きありがとうございます。
今日1日がアナタにとって人生で最高の1日でありますように!

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