
おはようございます。関川忍ことセッキーです。
本日1回目の記事です。
名言や、その解釈を紹介するコラムです。
コンテンツにはあったのですが、今回初となります。
何かの参考にしてください。
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「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」
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【解釈】
西郷隆盛の言葉ですが、西郷をそう賞賛させたのが・・・
明治維新のクライマックスは勿論
「江戸城無血開城」です。
この無血開城に向けて鉄舟は
3月7日に江戸を戦火から救うべく、徳川慶喜の命を受けて薩摩藩士益満休之助を伴い、鉄舟は決死の覚悟で3月9日官軍(敵軍)の駐留する、駿府(現在の静岡市)に乗り込み、単身で西郷と談判に挑みます。
このとき、官軍が警備する中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と、大音声で堂々と歩いていったといいます。
西郷に会った鉄舟は、海舟の手紙を渡し、徳川慶喜の意向を延べ、朝廷に取り計らうよう頼ます。
この際、西郷から5つの条件を提示されます。
一、江戸城を明け渡す。
一、城中の兵を向島に移す。
一、兵器をすべて差し出す。
一、軍艦をすべて引き渡す。
一、将軍慶喜は備前藩にあずける。
このうち最後の条件を鉄舟は拒んだ。
その時に、西郷は「これは朝命である」と強要するのですが、鉄舟は一歩も引きませんでした。
この時に「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ」と西郷の意見をつっぱねたというのです。
この鉄舟の命をかけた対応により「江戸無血開城」がすみやかにおこなわれました。
その後鉄舟は、明治天皇の教育係として十年間仕えたという功績は、世界的に非常に高く評価されています。
命をかけて「役割」を全うするってステキですね!