偉大なるご先祖様に新年のご挨拶

こんばんはセッキーです!

今日は毎年恒例のご先祖様への新年のご挨拶に家族と行ってきました。

                 ボクの母と孫達

 

ボクのご先祖様は

別格大本山鳴鐘山東勝寺「宗吾霊堂」にお祭りされています

佐倉惣五郎(さくらそうごろう)です。

ちなみに、ボクで17代目の子孫にあたります。

惣五郎(宗五郎)を知らない方に少し・・・

宗五郎は

下総国印旛郡公津村(現在の千葉県 成田市 台方)の名主でした。

 

33歳の時、下総国(しもおさのくに)が大飢饉に見舞われ貧窮状態に陥りそのしわ寄せは農民に回り、佐倉藩の代官(堀田)は農民たちの家の財産までも搾り取るように重税を課しさらに年貢を納められない者を怠納と称して処罰していたそうです。

農民たちは、飢饉の苦しみと重税に対する怒りで

一斉蜂起に至ろうかというところまで追い詰められていました。

しかし、一斉蜂起しても、加担者全員が死罪や永牢などの

重刑に処されるばかりなので

宗五郎は将軍家への直訴を決めました。

1653年 (承応 2年)宗五郎は

家族に害が及ばないように、妻に離縁状を渡し

江戸上野東叡山入り口の三枚橋付近で将軍家綱に直訴を果たしました。

遂に佐倉領民の願いは聞き届けられたのですが

ご法度を犯した以上、宗五郎の処罰は免れません。

宗五郎は磔刑(たくけい)という

貼り付けにされ刺殺される刑になるのですが

当時の代官(堀田氏)の怒りは収まらずに

男子ばかりか、女子も坊主にして同刑にされました。

この時、宗五郎の長女が隣の国(常陸国)

ボクの実家に嫁いでいたために後世へ血が受け継がれました。

この宗五郎の行ったことは

現在の「自由民権運動」の発祥ともされ

福沢諭吉や自由民権活動家が

彼らの主張の先駆者として宗五郎をとりあげたそうです。

宗五郎は「義民」と呼ばれますが

義民とは「正義・人道のために一身をささげる民」

という意味のようです。

その伝説は歌舞伎にもなり

戦後は頻繁に演じられていたそうです。

          国立歴史民族博物館資料より

お参りをすませると

官主様との新年のあいさつを交わし

宗吾霊堂の近くにあるお蕎麦屋さんへ

             美味しいざるそばですョ!

偉大な祖先に恥をかかせない

生き方をいなければと想う1日でした。

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